2000年代の空気感がわかる!2000年〜2009年の主要ニュースをダイジェスト

     
  • 公開日:2020.1.10
  •          
  • 更新日:2026.8.16
2000年代の空気感がわかる!2000年〜2009年の主要ニュースをダイジェスト
記事のURLとタイトルをコピーする

ニュースデータベースは「昨日のニュースを記録するデータベースサイト」です。

3日後には忘れ去られてしまうニュースを鮮度そのままに記録し続けています。

この記事では2000年代に話題になったニュースの中から主要ニュースだけピックアップ。当時の空気感と一緒に振り返ります。

2000年代がどんな時代だったのか、空気感や雰囲気を思い出しながら(あるいは思いを馳せながら)ごゆるりと閲覧くださいまし。

 

▼ 他年代のニュースを見る

関連記事 2010年代の空気感がわかる!2010年〜2019年の主要ニュースをダイジェスト ニュースデータベースは「昨日のニュースを […] 2020.01.11 関連記事 2020年代の空気感がわかる!2020年〜現在までの主要ニュースをダイジェスト ニュースデータベースは「昨日のニュースを […] 2026.08.16

 

「首相」「大統領」など人物の肩書はニュース当時のものを用いています。

目次

2000年の主なニュース

西暦2000年代がスタート

西暦1900年代が終了。西暦2000年代に突入したメモリアルイヤー2000年。

お祭り騒ぎの一方、日本を含めた世界各地で「コンピュータ西暦2000年問題」が社会問題に。

当時のITプログラムは西暦の下2桁のみでカウント処理するものが多く、西暦2000年到達に伴い「西暦1900年」と誤認してインフラ機器が誤作動を起こす可能性が指摘された。

日本では首相官邸に対策室が置かれ、政府レベルで西暦2000年問題に取り組み。深刻な混乱は避けられたが、今となっては情報化社会におけるIT依存リスクが顕在化した代表的なできごとに。

 

日本政府が「IT革命」を打ち出し、インターネット時代の幕開け

出典:FUJITSU

情報技術(Information Technology)こと”IT”による社会変革「IT革命」。

2000年当時の森内閣が「IT戦略本部」を設置。社会のIT化を進める方針を明らかにした。「IT革命」はこの年の新語・流行語大賞の年間大賞にも選出された。

ITの中核となる「インターネット」の知名度も徐々に高まる。インターネットはもともと冷戦下の米国で軍事関連研究としてスタート。物理的な距離に関係なくコンピュータ同士をつないでテキストのやりとりできる(パケット通信できる)未来の技術だった。

1995年にインターネットが商用解禁。1998年発売のWindows 98の大流行を機に個人レベルにも普及し始めた。とはいえ、当時まだ一部の研究者やパソコンオタクしか使わないマイナーサービスだった。本格的に普及し出したのは2000年代後半から。

参考情報

 

【高齢化社会】日本で介護保険制度はじまる

日本で公的介護保険制度が始まったのが2000年。日本初の介護に特化した公的保険だった。日本の高齢化社会の到来を象徴するできごとに。

40歳以上の国民が保険料を納め、老後の介護サービスを公的保険で受けられるように。老人ホームや訪問介護サービスも整備され、これまで家庭内で行われていた老親の介護を第三者が行う時代を迎えた。

日本の高齢者比率は1994年に14%を突破(14%は高齢社会の基準とされる)。2000年代には20%を突破するなど高齢化が急速に進み、”高齢化社会”なるキーワードも一般用語として定着。いつからか少子化トレンドと相まって”少子高齢化”と呼ぶように。

 

雪印集団食中毒事件、”コンプライアンス”事件の先駆けに

戦後最悪の食中毒事件として名を残した同事件。

雪印メグミルクの前身で、かつて存在した大手乳製品メーカー「雪印乳業」の乳製品で食中毒事件が発生。被害者数は1.4万人を超えた。

事件発覚後も公式発表や自主回収などの対応が遅れて被害が拡大。また、当時の石川哲郎社長が記者会見後にブチギレるなど企業イメージも悪化。食中毒事件である以上にコンプライアンス事件としての側面が際立った。

“コンプライアンス”なる言葉は金融業界を中心に1990年代くらいから使われるようになったカタカナ語。同事件の頃から金融業界とは関係ない一般企業においても企業倫理を求める用語として使われるように。

参考情報

 

【朝鮮半島】分断後初の南北首脳会談を実施

(北朝鮮の金正日キム・ジョンイル前総書記、金正恩総書記の父親)

出典:Kremlin.ru, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

南北分断(1948年)以来初となる南北首脳会談が行われた2000年。

ソ連崩壊に伴う冷戦構造の終結に伴い、それとなく両国が融和姿勢に。南北関係の改善や離散家族の再会、南北経済協力の推進などを定めた「南北共同宣言」を締結した。この成果により韓国の金大中大統領(当時)はノーベル平和賞を受賞した。

一方で2000年代中盤にもなると北朝鮮の核開発問題やミサイル発射実験が本格化。韓国とは都度、融和と対立を繰り返す時代に突入した。

2020年には北朝鮮が南北共同連絡事務所を爆破。以降は関係が途切れた状態にある(2026年現在)。

なお、北朝鮮は日本とも関係改善を探り、2002年9月に初の日朝首脳会談を実施。同年10月に拉致被害者5人が帰国するなど融和ムードあったが、以降は特に進展なし。拉致問題も解決しないまま現在に至る。

 

2000年の人気曲|モーニング娘。『恋愛レボリューション21』

21世紀ブーム(西暦2001年突入ブーム)の最中、数字の”21″にあやかった言葉が飛び交ってた時代の名残。

モーニング娘。の大ヒット曲『恋愛レボリューション21』。

当時はCD売り上げの最盛期だったこともあり、モーニング娘。の人気メンバーらが納税者ランキングの常連に。当時10代〜20代だったメンバーが年間で数千万円の納税しており、アイドル商売が経済的な観点からも夢のある仕事として注目を集めた。

(補足:2005年まで国税庁が高額納税者の納税額を一般公開していた)

 

 

2001年の主なニュース

911テロ(アメリカ同時多発テロ事件)

出典:rds323, CC0, via Wikimedia Commons

約3000人が亡くなった歴史的なテロ事件。

民間旅客機4機がイスラム系テロ組織にハイジャックされ、ニューヨークの世界貿易センタービルやアメリカ国防総省に突撃した。

特に世界貿易センタービルへの突撃がテロへの脅威を際立たせた。1機目の突撃を受けてマスコミ各社が中継を開始。最中に2機目の突撃あったことで全世界にテロの様子がライブ配信された経緯ある。

同事件を受けてアメリカ政府は「対テロ戦争」を宣言。テロを主導したイスラム系テロ組織「アル・カイーダ」撲滅を掲げてアフガニスタン戦争に乗り出し。

関係者ら匿っていたアフガニスタンのタリバン政権を軍事力で壊滅させたが、以降20年近くで200兆円近い軍事費や駐留費を投入する泥沼戦争に。2021年に米軍がアフガニスタン撤退するも再びのタリバン政権の復権を許した。

参考情報

 

中央省庁再編、「大蔵省」が解体へ

森内閣時代に行われた中央省庁の大規模刷新。

戦後日本で省庁が増え続けて1府22省庁と溢れていたが、再編により1府12省庁まで減らした。

これを機に「文部科学省」「農林水産省」「国土交通省」「経済産業省」など複数省庁の役割と名前が合併して誕生した。

また、1869年から続いた花形省庁たる「大蔵省」は解体。「財務省」と「金融庁」に分かれた。各省庁の予算配分を行う財務省は今日なお強い権限を持ち、定期的に財務省解体を主張する意見が出る。

参考情報

 

【戦後No.1支持率】小泉内閣が発足、以降の自民党政治の方針作る

(小泉純一郎首相)

出典:首相官邸ホームページ, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

数々の名言(あるいは迷言)を残して高い人気あった小泉純一郎氏。小泉進次郎氏、俳優の小泉孝太郎氏の父親として知られる。

記者会見以外の場で記者の質問を受け付ける「ぶら下がり取材」を始めた張本人。マスコミを巧みに活用した“劇場型政治”で世論の支持を取り付け。最盛期の内閣支持率は各社80〜85%前後と戦後No.1の人気を誇った。

短くてわかりやすいキャッチフレーズを多用。主な語録に「骨太の方針」「政治主導」「構造改革」「官から民へ」「中央から地方へ」「自民党をぶっ壊す」「感動した」など。現在でもそれとなく使われる政治家キャッチフレーズの多くを小泉首相が作り上げた。

市場原理的な競争政策をバブル崩壊後の日本の景気刺激策と位置づけ。規制緩和により硬直化した日本社会を立て直すと息巻いた。

その代名詞が「派遣労働の本格解禁」。製造業や事務職への派遣労働を解禁した。ただ、非専門かつ非正規の低賃金労働者が増える結果となり、現在に至るまでの格差社会の土台を作ったとして否定的な評価が多い。

外交面では北朝鮮の拉致問題解決に寄与。2002年9月に初の日朝首脳会談にこぎつけ、拉致被害者5人の帰国を実現させた。

また、アメリカとの関係強化も打ち出し。911テロやイラク戦争ではアメリカに対する全面支持を表明。人道復興支援名目でイラクに自衛隊派遣を決めて世論二分した。小泉首相は日米同盟について「新世紀の日米同盟」と銘打ち、日米同盟を地球規模の課題に取り組むための同盟と持ち上げた。小泉政権以降もこの同盟路線は続いている。

参考情報

 

【MLB】イチローが渡米1年目から活躍、「世界で活躍する日本人」のイメージ作る

イチロー(鈴木一郎)が渡米1年目にして200本安打を達成。MLB新人王に輝いた。

イチローは日本プロ野球で7年連続で首位打者を獲得していたが、華奢な体格からアメリカでは通用しないとの評価。また、当時の日本プロ野球では9年間の在籍ないと海外移籍できない独自ルールあり、プロ7年目でメジャー移籍を強硬したイチローをマスコミや野球関係者がこぞって批判していた。

イチローのメジャー成功により日本での評価一転。日本人いわくの「世界で活躍する日本人」の代表格として持ち上げられるように。

2004年にはMLB最多安打記録となる262本安打を達成(現在も記録して残る)。2025年にはアジア人で初となるMLB殿堂入り。ちゃっかり日本のプロ野球でも殿堂入りするなどかつてのイチロー・バッシングが嘘のような時代に。

 

狂牛病が社会問題化、オーストラリア産牛肉が日本で普及するきっかけに

牛の病気「狂牛病」(BSE)が日本で発生。

感染した牛を食べると人間にも感染する可能性があったことから連日の報道で危機感強まる。

牛肉の売り上げは激減。政府が農家向けの買い取り補償制度を開始するも悪用する事例も。食中毒事件(2000年)を起こした雪印乳業のグループ企業が海外産の牛肉を国産と偽って買い取らせていた事例が発覚し、そのままグループ解体につながったニュースもある。

2003年にはアメリカでも狂牛病が確認され、日本マクドナルドや牛丼チェーン店がアメリカ産牛肉を輸入停止。これを機にオーストラリア産牛肉に切り替えた。

以降も日米間ではアメリカ産牛肉の輸入緩和が政治的議論として残り続けており、一方で政治対立らしい対立ないオーストラリア産牛肉がすっかり日本でおなじみに。

参考情報

 

2001年の人気曲|宇多田ヒカル『Can You Keep A Secret?」

15歳で歌手デビューした宇多田ヒカル。

1990年代くらいから音楽ジャンルとして確立し始めた「J-POP」にR&B系サウンドを組み込み。当時のおしゃれサウンドの最先端を作り上げ。作詞作曲も自ら行っており、小室哲哉に並ぶ天才たらしめん評価を受けた。

2001年にリリースした『Can You Keep A Secret』はCD155万枚を売り上げ。宇多田ヒカルを代表する1曲に。

 

 

2002年の主なニュース

【デフレ本格化】マクドナルドのハンバーガーが59円に

1990年代のバブル崩壊(土地バブル崩壊)で不景気時代に突入。

対策として各社が低価格競争にしのぎ。なかでも日本マクドナルドが発表した59円のハンバーガーが時代を象徴するデフレ商品に。もともと100円だったが、数年かけて価格が下がり続け、2002年にはついに59円を記録した。

ただ、各社の低価格競争によりデフレがデフレを呼ぶデフレ・スパイラルが本格化。物価も賃金も上昇しない時代を迎えた。以降20年以上とデフレが続くこととなる。

なお、日本マクドナルドの59円バーガーは話題にこそなったものの利益率は低下。2002年に日本マクドナルドは初の年間赤字に転落した。

参考情報

 

日本で携帯電話が本格的に普及し始める

出典:Karl Baron from Lund, Sweden, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

2001年にNTTドコモが第3世代通信こと「3G回線」の提供を開始。

ほぼ音声通話しか利用できなかった2G回線時代から一転。メールの送受信やアプリ通信のような大容量パケット通信が可能に。現在のスマホに通づるエンタメ・デバイスとしての側面が強まった。

機能面も拡充。カメラ機能の搭載に始まり、音楽プレーヤー機能、おサイフケータイ、テレビ受信、アプリゲーム、インターネット閲覧などPCと遜色ない機能を相次ぎ実現。携帯電話はもともとビジネスユーザー向けのデバイスだったが、当時の若者を中心に契約者が急増した。

こうしたオーパーツ的な特異な機能を持った日本の携帯電話は「ガラケー」(ガラパゴス携帯)として日本の製造業技術の象徴に。

ただ、あまりに特異すぎて2010年以降のスマホ時代には適応できず。国産の携帯電話メーカーは最盛期にはソニー、シャープ、東芝、富士通、NEC、パナソニック、カシオ、京セラなど10社近くが存在していたが、今では大半が死滅した。

参考情報

 

ゆとり教育がスタート、奇しくも塾学習がメジャーになる転換点に

2002年に本格スタートした「ゆとり教育」。

1980年代に日本各地で社会問題になった学級崩壊やいじめ事件を受けて、心の教育を重視した教育方針に切り替え。

土曜日授業を廃止したり、詰め込み型のカリキュラムを改めたり、「総合学習」の科目を新設してグループワークや体験型授業を増やした。

ただ、国際学力調査(PISA)で2003年、2006年と日本の順位が低下し続けたこともあり、「ゆとり教育は失敗」とする意見が社会に蔓延。ゆとり教育を受けてきた世代こと「ゆとり世代」に対しての風当たりも強まる。

学習の遅れを心配した保護者ら、子どもの学習時間を塾学習で埋め合わせる本末転倒な展開に。東京大学や医学部を目指すわけでもない学生が学習塾や進学塾に通う、現代につながる塾重視の学習スタイルが都市部だけでなく地方にも広がっていく転換点になった。

 

【EU】ユーロ通貨の流通スタート

出典:Avij (talk · contribs), Public domain, via Wikimedia Commons

欧州統合構想に基づき2002年に発行を開始したユーロ通貨。

戦争の絶えなかった欧州社会の統合に向けた象徴的な出来事に。今現在ではドル、円と並ぶ3大通貨としての流通量を誇る(なお、中国元を含めて4大通貨とする場合もあり)。

ユーロ通貨統合により加盟国間の為替変動リスクをなくして投機リスクをも低減。一方で財政赤字を隠蔽しながらユーロ通貨を融通し続けたギリシャがギリシャ危機ひいてはユーロ危機を招くこととなる。

 

日韓W杯開催、日本のサッカー人気が高まるきっかけに

出典:JFA

2002年に開催された「FIFAワールドカップ日韓大会」。

最終的な開催地候補が日本と韓国の一騎打ちとなり、FIFAの政治的判断で日韓共催になった経緯ある。

日本と韓国の政治対立が現在よりも強かった時代だが、そうした心配はよそに大会は成功。総観客数は日韓合計で約350万人を動員。日本代表が初のW杯決勝進出(ベスト16)を決めて日本でも空前の盛り上がりを見せた。

日本ではJリーグが1993年に発足。2000年代においても野球に比べるとサッカー人気は低かったが、同W杯を通じてサッカー人気に拍車。グループリーグ1試合目の対ロシア戦は視聴率66.1%と日本関連のW杯視聴率で歴代No.1を記録した(現在も破られず)。

参考情報

 

2002年の人気曲|ロードオブメジャー『大切なもの』

現在もコアな人気ある1曲『大切なもの』。

ロードオブメジャーはテレビ番組発のインディーズバンドとして注目。デビュー曲となる『大切なもの』はインディーズCDとしては異例のCD100万枚セールスを記録した。

恋や友情、日々の思いを泥臭く熱く叫ぶ青春ソングとして人気に。当時の若者に流行っていた「青春パンク」系の曲として知られる。

 

 

2003年の主なニュース

【ソニーショック】日経平均株価が過去最低の7000円台に

(ソニーがかつて展開していたPCブランド・VAIO)

出典:TTTNIS, CC0, via Wikimedia Commons

ソニーの業績不振から始まった株価暴落「ソニーショック」。

日経平均株価はバブル当時の3.8万円をピークにじわじわと右肩下がり。2002年には1万円を切り、2023年4月に起きたソニーショックで7,000円台まで下落した。

ソニーは当時まだエレクトロニクス企業(家電・電機企業)としての側面が強く、ソニーの失速が日本家電・電機産業の終わりの始まりとして受け止められた。

実際に1990年代くらいまでは電機産業や半導体産業で世界トップクラスの競争力があった日本企業だが、徐々に国際的な競争力が低下。中国企業・韓国企業の躍進で世界シェアを落としていた。

ソニーもテレビ、パソコン、ウォークマン、高級家電など数多くの製品ラインナップを展開していたが、2000年代にもなると失速。ソニーショックがバブル崩壊後の日本の不景気や製造業の凋落を象徴するできごとになった。

ちなみに、ソニーはその後の経営改革でエンタメ企業として復活。2024年には売り上げ12兆円、営業利益1.2兆円と過去最高業績を達成した。2000年代の数少ない生き残りである家電あるいはゲーム機「PlayStation」を軸に今ではエンタメ事業が売り上げの半分以上を占める。

 

イラク戦争が勃発、日本は自衛隊の派遣決定で世論二分

当時のアメリカ大統領、ジョージ・ブッシュ氏いわくの「テロとの戦い」。

2001年のアメリカ同時多発テロ事件を受けて打ち出したアメリカの軍事・外交政策で、米国民の安全を守るために中東の反乱分子との戦いに本格的に乗り出した。

2001年にはアフガニスタン戦争を。続けて2003年にはイラク戦争を開始。イラクのフセイン政権(当時)が大量破壊兵器を保有しているとの疑惑あり、国連安保理の承認ないまま米英軍がイラク侵攻した。

米軍がフセイン大統領を確保。2006年に死刑執行した。ただ、疑惑の大量破壊兵器は見つからず。フセイン大統領に対する裁判も過去の国内事件に対する「人道の罪」を処罰する裁判にトーンダウンした経緯あり、イラク戦争の合法性を問う声は絶えない。

日本は当時の小泉首相がアメリカに対する全面支持を表明。イラクの復興支援を目的に自衛隊のイラク派遣を決めた。ただ、憲法9条との兼ね合いから国内世論が二分。野党や市民団体による反対運動が加熱した。

なお、同一件を通じて自衛隊の海外派遣を可能とする「非戦闘地域」なる概念・定義が誕生。以降の安全保障政策(集団的自衛権や海外派遣法制)にも大きな影響を与える転換点となった。

 

感染症「SARS」がアジア地域で流行、日本では感染者出ず

2002年〜2003年にかけて猛威をふるった新型感染症「SARS」(重症急性呼吸器症候群)。

中国で初確認され、もともとは原因不明の肺炎として報告された。2003年にアジア地域を中心に爆発的な流行。世界で感染者数8,098人、死者774人。致死率は約9.6%と感染症としては非常に高い水準だった。

“グローバル化”言われ始めた時代の国境を超えた感染症事例として強く記憶される。

なお、日本では感染者が1人も出ず。徹底した水際対策が取られたほか、そもそも当時の日本は訪日観光客数が年間500万人程度と他のアジア諸国と比べて少なかった。国際便は成田空港と関西国際空港くらいでしか受け入れておらず、現在と比べて限りなく鎖国に近い状態に。日本で訪日観光客が増え始めるのは2010年代の安倍政権時代から。

 

【大相撲】朝青龍フィーバー、史上初のモンゴル人横綱

出典:Philbert Ono., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

当時のちびっ子から高い人気を誇った横綱・朝青龍(あさしょうりゅう)。

モンゴル出身の初の横綱として知られた。2003年に横綱昇進。計25回の幕内優勝を飾るなど圧倒的な強さを誇った。テレビCMにも出演しており、その愛嬌あるキャラクターが際立った。

一方で土俵でガッツポーズしたり、仮病で巡業を休んだり、暴行トラブルを起こしたり、横綱に相応しくないとのバッシングも受けていた。

現在も使われる「横綱の品格」なるフレーズも朝青龍バッシングの中で誕生。そのまま一般用語として定着していった経緯ある。

 

宮崎駿が『千と千尋の神隠し』が日本人初の米アカデミー賞を受賞

出典:Amazon

『千と千尋の神隠し』は日本では2001年に公開。興行収入316億円と当時の日本映画で歴代No.1の大ヒットを記録した。

スタジオジブリが1990年代から米ディズニー社と提携していたこともあり、アメリカ国内でも上映された。この経緯あって2003年度の米アカデミー賞で「長編アニメーション映画賞」を受賞。日本作品が米アカデミー賞を受賞するのはこれが初めて。

海外では一部のマニア向けにとどまっていた日本アニメだが、”ジブリ”や”宮崎駿監督”の名前が先行して日本アニメが一般層に知られていく転換点になった。

参考情報

 

2003年の人気曲|BoA『VALENTI』

K-POPの先駆けとして知られる韓国出身の歌手・BoA。

15歳のときに日本デビュー。HIP-HOP系のダンスナンバーで人気に。2003年に発表したCDアルバム「VALENTI」は日本国内でミリオンセールスを記録。日本でメジャーな人気を確立した初の韓国人歌手となった。

韓国の芸能事務所であるSMエンターテイメント所属であり、BoAのヒットでSMエンターテイメントも日本市場で勢い。後輩グループである「東方神起」「SUPER JUNIOR」「少女時代」らの日本デビューにつながった。

 

 

2004年の主なニュース

日韓の文化交流が本格的に始まる

出典:Amazon

1987年まで軍事政権が続いていた韓国。民主化を経て、1998年より日本コンテンツ(日本語コンテンツ)の輸入を段階的に解禁。2004年には日本の曲やドラマを含めてほぼ全面解禁した。

同時期に日本国内でも韓国コンテンツの流通がスタート。なかでもNHKが放送した韓国ドラマ『冬のソナタ』が大ヒット。主演したペ・ヨンジュンこと”ヨン様“が日本でもスター級の人気誇った。

また、音楽分野ではBoAや東方神起が”韓国出身のJ-POPアーティスト”なる特殊なポジショニングを確立して人気アーティストの仲間入り。日本の音楽番組やバラエティ番組にも出演。2010年以降のK-POPブームの下地を作った。

日本人の訪韓数も増加傾向に。韓国旅行者は1990年代に年間100万人台、2004年時点で244万人まで増加。2010年代には300万人台まで増えた。隣国ながらも交流がほとんどなかった日本と韓国だが、2004年は本格的な文化交流が始まったメモリアルイヤーとして記憶される。

参考情報

 

派遣社員を本格解禁、「格差社会」がトレンドに

正社員・終身雇用が一般的だった日本社会の転換点。

もともと一部の専門職に限られた派遣労働だが、小泉政権時代(2001年〜2006年)に大幅な規制緩和。2004年にはこれまで禁止されていた製造業への派遣労働が解禁された。

バブル崩壊後に就職にあぶれた氷河期世代だったり、社会進出し始めた女性労働者の受け皿として機能。派遣就業者数は2000年時点で120万人前後だったが、2005年時点で200万人を突破。2008年時点で380万人を超えた。

解雇規制が強い日本社会において解雇しやすい労働力として重宝され、アメリカ社会のようなコストカット経営を容易にした。一方で正社員との賃金格差や待遇格差が早くも社会問題に。

正社員と違って経歴やスキルが蓄積されず。賃金アップも期待できない立場あり、「年収300万円時代」「格差社会」といった用語を生み出す結果となった。

 

「自己責任」が誤用まま一般用語に

1990年代から主に金融業界で使われはじめた専門用語「自己責任」。2004年〜2005年ころに本来の意味とは異なるまま一般用語化した。

イラク戦争の最中に日本人ボランティアら3人がイラク渡航。現地の武装勢力に拘束される事件があった。

外務省がイラクへの渡航自粛勧告を出しており、拘束事件に対して当時の小泉政権の幹部ら自己責任の結果とする冷ややかな対応。これにマスコミや世論が同調。日本人ボランティアら解放・帰国したものの社会的なバッシングを受けた経緯ある。

国家と国民の関係性から、そもそも政府が担っているはずの邦人保護の責任を無視して、”自己責任”名目で第三者に責任を擦りつける論法が詭弁あるいは誤用だと批判あった。

また、金融用語としての自己責任は「リスク」と「責任」の相互的な概念であり、リスクを提供する金融業者側にもリスク説明(説明責任)が求められる。この本来の意味に照らすと渡航自粛を”禁止”ではなく”勧告”にとどめていた政府側の過失や説明が問われず、日本人ボランティアらの責任だけが一方的に追求されたアンフェアな対立構図だった。

ただ、そうした細かな用法の違いさておき、本来負っているはずの責任を第三者に転嫁するための根拠としての「自己責任」用法が定着。自己責任は2004年度の新語・流行語大賞にも「受賞者なし」で選出された。

 

Winny事件が泥沼化、日本のIT産業に重し

出典:Amazon

日本のIT産業に悪い意味で名を残した「Winny事件」。

ファイル共有ソフト「Winny」を通じた著作権侵害事件を受けて、そもそもの開発者である金子勇氏が幇助罪で逮捕・起訴された。

サービス利用者の違法行為はサービスを提供する開発者にも非があるとのロジックで裁判が進み、ながらく日本法治下におけるITサービスの提供リスクとして君臨し続けた。

金子氏は無罪を勝ち取ったものの、インターネット普及期のど真ん中にあたる2004年〜2011年まで裁判が続いたこともあって、その裁判の行方めぐって日本のIT産業を萎縮させ続けた。

昨今のSNS規制や生成AI議論にも間接的に影響している。サービスそのものが合法でもサービス利用者が違法行為している場合にサービス提供者の非や責任を問うロジックあるが、この議論都度Winny事件の苦い記憶が想起される。

 

強姦罪の改正議論はじまる、早稲田スーパーフリー事件がきっかけ

2003年〜2004年にかけてメディアを賑わせた「スーパーフリー事件」。

早稲田大学の公認サークル「スーパーフリー」(現在は廃止)で起きた性的暴行事件。サークルに所属する男子学生らがサークル活動を装って女子学生らに性的暴行を繰り返していた。東京大学や慶応大学など首都圏の有名大学の学生らも性的暴行に加わっており、メディア報道が加熱した。

学生ら十数人が逮捕・起訴され、サークルを主催した早稲田学生には懲役14年判決が下った。

事件を受けて刑法の改正議論にも拍車。2010年以降の刑法改正(強姦罪の非親告罪化や法定刑引き上げなど)につながる議論が始まった。

当時まだ強姦罪(現在の不同意性交等罪)が親告罪であり、被害者が告訴しないと刑事事件にならなかった。心情的、プライバシー的に告訴できない事例が多く、強姦罪を非親告罪にすべきとの主張が高まった。

 

2004年の人気曲|O-Zone『恋のマイアヒ』(飲ま飲まYey)

インターネット掲示板(当時の2ちゃんねる)で話題になった空耳ソング。

元ネタはルーマニアの音楽グループ「O-ZONE」が2003年にリリースした楽曲。日本語とは縁遠い洋楽ソングだが、日本語っぽく聞こえる曲としてじわりヒット。

アスキーアート「モナー」を用いた空耳MADがバズりにバズって、ついには日本の音楽番組への出演も果たすなど異例の大出世を果たした。

 

 

2005年の主なニュース

【小泉政権】郵政民営化が異例の盛り上がり

出典:首相官邸ホームページ, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

小泉純一郎首相が打ち出した郵政民営化めぐり世論二分。

国営だった郵便局は当時350兆円もの預金や保険料を溜め込み。その使途に影響力を行使できる政治家ら「郵政族」と呼ばれるなど利権の象徴化していた。

規制改革を推し進めていた小泉首相は郵政民営化を「改革の本丸」と表現。郵政民営化が異例の世論二分を招く盛り上がりに発展した。

解散総選挙の結果、自民党が圧勝して民営化法案は成立。郵便局の「郵便」「郵貯」「簡保」事業をそれぞれ分社化し、いずれも現在のような独立企業になった。「ゆうちょ銀行」もこの機に誕生した。

ただ、郵便事業から独立した日本郵政は赤字決算が続く。また、民間企業相応のガバナンスが求められるようになったことで不祥事も公になるように。不適切点呼問題や保険商品の不正販売問題など現在もトラブルが続いている。

参考情報

 

JR福知山線で戦後最悪の脱線事故

戦後の鉄道事故としては最悪規模。JR福知山線(広島県)で起きた脱線事故。

通勤ラッシュ時間帯の列車が脱線。先頭車両がマンションに衝突して大破。乗客106人が死亡。562人が重軽傷を負った(ほか運転していた車掌1人も亡くなった)。

速度超過が事故の直接的な原因だが、その原因を招いた1分1秒単位の遅れを許さぬ日本人気質の時間厳守主義が矢面に立たされた。

当時のJRでは列車を遅延させると車掌に対して厳しい指導あるいは叱責するカルチャーあり。事故当日は1分の遅延が発生していた。それゆえに安全対策を怠る本末転倒な展開に。

その後の裁判でJR西日本の幹部ら刑事責任を問われたが、最終的に無罪が確定した。

参考情報

 

【愛・地球博が開催】愛知県が本気出す

(愛・地球博2005の公式キャラクターたるモリゾーとキッコロ)

出典:愛・地球博

日本の東西をつなぐ産業地域として古くから発展した愛知県。観光面ではいまいち地味なイメージあった。

こうしたイメージを払拭すべく1980年代ころから愛知県の観光発展・再開発の話が進み、2005年には県内初の空港となる中部国際空港(セントレア)を開港した。

また、同年には愛知万博(愛・地球博)も開催。地球環境問題を意識したエコな万博として打ち出し。来場者数2200万人とそこそこ盛り上がった。

今では愛知県が人気観光地になった… と言いたいところだが、現在も「47都道府県魅力度ランキング」で見ると20位前後を行ったり来たりしており、地域の経済規模に照らして観光魅力度がそこまで高くない。

参考情報

 

【萌え】秋葉原が再開発、「アキバ」ブーム到来

出典:Purupurucat, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

秋葉原エリアが「電気街」から「オタクの聖地」に変わっていったのが2005年前後。

石原慎太郎東京都知事(当時)が打ち出した「東京構想2000」に基づき秋葉原エリアの大規模開発がスタート。UDXはじめとしたおしゃれビルが立ち並ぶように。

これに伴い秋葉原に人とカネが流入。秋葉原エリアで栄えていたオタクカルチャーがメディアで取り上げられる機会が増え、すっかりオタクの街として知られるように。

なかでもメイド喫茶が日本どころか海外にも波及する一大ムーブメントに発展。当時から秋葉原で営業していた大手メイド喫茶・あっとほぉーむカフェが接客用語として用いた「萌え」は同年の新語・流行語にも選出された。

参考情報

 

2005年の人気曲|浜崎あゆみ『STEP you』

2000年代を代表する人気歌手・浜崎あゆみ。

CD最盛期の時代にヒット曲を連発。CD総売上枚数は5000万枚超え。日本の女性ソロ歌手の中で歴代1位の記録を持つ。

2000年代当時の10代、20代女子の教科書的なフッションアイコンでもある。今となっては浜崎あゆみのMVが当時の文化風習が垣間見える貴重な映像資料に。かつて日本に存在した「ギャル」そのもの。1990年代後半から台頭し始めたギャルメイクの流れを組みつつ、2000年代中盤にかけての姫ギャルメイクに発展していった経緯あり。

 

 

2006年の主なニュース

【ライブドア事件】ホリエモンが逮捕される

出典:Amazon

ホリエモンこと堀江貴文氏が代表を務めたIT企業・ライブドア社で粉飾決算が発覚。

堀江氏が証券取引法違反で逮捕・起訴され、懲役2年6か月の実刑判決を受けた(2011年〜13年まで収監された)。

2000年代のITバブルの最中、堀江氏が時代の寵児としてもてはやされていたこともあり、連日のニュース報道が続いた。

ライブドア時代の堀江氏はプロ野球への参入を表明したり、2005年にはフジテレビの親会社(ニッポン放送)の株式を大量取得してテレビ業界への参入を目指すなど派手な話題で世間を賑わせ。

また、2005年の郵政解散選挙にも出馬するなどしており、堀江氏の予測のできない行動と歯に衣着せぬ物言いが「カリスマ」「異端児」と持ち上げられ熱狂的な支持を集めていた。

参考情報

 

非正規社員の経済不安が本格化

日本の景気不安と雇用の不安定化を背景に「ネットカフェ難民」「闇金」「ワーキングプア」といった暗い言葉が飛び交った2000年代後半。

バブル崩壊後の日本でながらく新卒採用数の制限が続き、大卒でも正社員職を得られない若者が一般的な現象に(いわゆる就職氷河期)。2002年度の大卒就職率は55.1%で過去最低を記録した。

小泉政権下で本格解禁された派遣労働が就職できなかった若者の受け皿となった。ただ、非正規化に伴う低収入者が増えたことで足元では経済不安・社会不安が広がった。

マルチ商法に加担する若者が増えて社会問題になったり、「闇金」こと違法の高金利の金貸しに手を出す人が増えたり、自己破産件数が年間20万人を突破するなどお金めぐるトラブルが多発した時期でもある。

2007年には「ネットカフェ難民」が新語・流行語大賞TOP10に選出。低収入で賃貸物件が契約できず、ネットカフェで寝泊まりする若者を指す言葉として知られた。

 

民主党が急伸、マニフェスト選挙で支持拡大

(小沢一郎氏)

出典:kyouichi sato, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

2000年代の最大野党・民主党。2003年に自由党と合併して一大勢力に。自由党は「政界の壊し屋」こと小沢一郎氏が党首を務めていた。

自民党政権に対する「批判の受け皿」「二大政党制の受け皿」として勢力拡大。かつて中道左派を担った日本社会党(1996年に社民党へ改称)の埋没に伴って空白化していた隙間を埋めた。

格差社会の是正、親米路線の是正、また当時社会問題化していた「消えた年金問題」への追求などで支持を獲得した。

2003年の総選挙では日本初の「マニフェスト選挙」を実施。マニフェストこと”公約”を前面に掲げた選挙戦を展開した。与野党対立のわかりやすさを打ち出した一方、対立を煽って支持を得るやり方がポピュリズム的だとの批判もあった。

2007年には参議院選挙で与党議席を上回り。2009年についに政権交代を果たした。

参考情報

 

北朝鮮が核開発・弾道ミサイル開発を本格化

北朝鮮の核開発や弾道ミサイル開発が大きく進展した2000年代。

もともと金日成時代(1948年〜1994年)から開発計画は進んでいたが、2000年代にもなると開発が本格化。

2006年には北朝鮮が初となる地下核実験を成功させたほか、過去最多となる年間7発の弾道ミサイルの発射実験を行うなど軍事行動が激化。北朝鮮の核開発・ミサイル問題が日本時事でも主要なトピックになっていった経緯ある。

北朝鮮の核開発が進むに連れてアメリカ政府も対話による解決を模索する方向にシフト。北朝鮮も核を外交カードとして駆使。たびたびアメリカと北朝鮮による「対話→友好→経済支援→破局」を繰り返す時代を迎えるように。

 

アスベストが社会問題に、被害者は現在も増え続ける

日本の高度経済成長期から使われてきたコンクリート素材の「アスベスト」(鉱物繊維)。

株式会社クボタの工場でアスベストによる健康被害が発生。ここから社会問題化。調査の結果、日本国内で年間1000人前後がアスベスト吸引によるがん被害で亡くなっていた。

2006年には国がアスベストの製造・使用を全面禁止。アスベストは学校、ビル、鉄道車両まで幅広く使われており、企業や団体がアスベスト対策に追われた。

なお、アスベストは潜伏・進行期間が数十年とかかることもあり、2020年代においても年間1000人超がアスベスト関連被害者として亡くなっている。被害者数のピークは2030年代と予測されており、現在進行系でまだ社会問題である。

 

2006年の人気曲|DJ OZMA『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士』

NHKを出禁になった伝説を持つDJ OZMAの名曲『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士』。

韓国のヒット曲の日本語リメイク曲としてリリース。レゲエ風のノリよいサウンドが中毒性を生んだ。

2006年度のNHK紅白歌合戦にも初出演。ただ、生放送で半裸ボディスーツをアドリブ披露して炎上。NHKが謝罪する羽目に。以降、DJ OZMA(の中の人)をNHK番組で見た人はいない。

 

 

2007年の主なニュース

Appleが初代iPhoneを発表(も不評)

出典:Steve Jobs Introducing The iPhone At MacWorld 2007|YouTube

1990年代には経営破綻危機にあったAppleだが、音楽プレーヤー「iPod」のヒットで立て直し。

2007年には「iPod」に「Phone」(電話機能)を追加した「iPhone」を発表。”スマートフォン”とは何たるかを打ち出し。当時のスティーブ・ジョブズCEOいわく「Appleは電話を再発明する」と息巻いた。

ただ、2007年当時に旧世代回線(2G回線)しか対応しておらず、すでに3G回線が主流だった日本国内では販売されず。また、ソフトウェアの動作も不安定だったことから製品評価もそこまで芳しくなかった。

潮目が変わったのは2010年。第4世代モデル「iPhone 4」が発売3日で世界170万台を売り上げる大ヒット商品に。日本でもソフトバンクから発売され、iPhone人気、スマホ人気に拍車かかった。

 

インターネット動画時代の幕開け

出典:Emmanuel Adakole, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

2000年代中盤からWi-Fi(無線LAN)が普及。インターネット回線速度の高速化に伴ってテキスト・コンテンツが中心だったインターネット空間に動画コンテンツが増え始めた。

なかでも2005年に米国で創業した「YouTube」が日本を含めて世界的な人気サービスに。2006年には早くもGoogleに買収され、インターネット動画サービスのビジネスとしての可能性が言われるように。

当時のYouTubeは著作権侵害の問題を数多く抱えていたが、その後のサービス改善で今ではすっかり合法的なサービスとして市民権を獲得した(とはいえ2010年代中盤くらいまではアングラなイメージあった)。

日本ではドワンゴ社が「ニコニコ動画」を2006年に立ち上げ。もともとYouTube動画を転載してコメント芸を展開するアングラ系サイトだった。よくも悪くもYouTubeよりも著作権が緩かったがゆえに二次創作MADや「歌ってみた」コンテンツが普及。また、ヤマハの音楽合成ソフト「ボーカロイド」を使った初音ミク系コンテンツの発表の場としても隆盛を極めた。

参考情報

 

任天堂が大企業の仲間入り、年間売り上げが創業初の1兆円突破

出典:Wii|任天堂

ながらくゲーム業界の1社くらいの位置付けだった任天堂だが、このころから日本を代表する大企業として認識されるように。

当時展開していたゲーム機「ニンテンドーDS」「Wii」が相次ぎヒット。2007年度には創業初となる年間売り上げ1兆円を達成した。

売り上げの半分以上を北米はじめとする海外市場で稼ぎ出しており、失われた30年下において海外市場で成功を収めた数少ない日本企業として記憶される。

ちなみに、2007年当時の社長だった岩田聡氏は自らゲーム開発を行うエンジニア社長として数々の伝説残した。

2010年代以降も紆余曲折ありながら任天堂の成長は続き、2017年に販売した「Nintendo Switch」は世界1.5億台を売り上げ。2021年には日経平均株価の構成銘柄にも採用され、名実ともに日本を代表する大企業に。

参考情報

 

【不都合な真実】地球温暖化が国際的な議論に

1990年代くらいから知られるようになった「地球温暖化」を国際的な議論に引き上げたドキュメンタリー映画『不都合な真実』。

アメリカ元副大統領アル・ゴア氏が主演。科学データに基づき「CO2排出による気候変動」「氷床・氷河の融解」「異常気象の増加」など今日では一般的な地球温暖化めぐる争点を整理した。むしろ今日まで続く地球温暖化の議論の方向性、そもそも何が問題かの枠組みを同作が決定づけたと言っても過言ではない。

アル・ゴア氏は環境問題の論者としても知られ、同作が評価されたことでIPCC(気候変動に関する政府間パネル)とともにノーベル平和賞を受賞した。

参考情報

 

国民投票法が成立(も今日まで使われず)

出典:内閣官房内閣広報室, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

2006年に戦後最年少で首相になった安倍晋三氏(就任当時52歳)。自民党の若手ホープ議員として知られた。小泉政権時代には40代にして幹事長を務めた経歴を持つ。

戦後レジームからの脱却を掲げ、ながらくタブー視された憲法改正に前向きな姿勢を示したことで賛否。

第1次政権は1年足らずで頓挫したが、その時代の数少ない成果が「国民投票法」の成立。憲法改正はじめとした国民投票を行うための制度を法制化した。

憲法改正のためには国民投票が必要だが、その手続きを定める法律が1946年の憲法公付以来と存在せず。護憲・改憲対立から国民投票法の議論もタブー視されていた。

2007年に国民投票法が成立したものの現在まで同法は1度も使われず。法律の存在感も薄れてきた。

参考情報

 

2007年の人気曲|アヴリル・ラヴィーン『ガールフレンド』

サビの部分は誰もが聞いたことがあると思われるアヴリル・ラヴィーンの代表曲。

2000年に始まった「サマソニ」(SUMMER SONIC)はじめとした音楽フェスを通じて洋楽ロックが日本で流行。アメリカ発のロックバンドが相次いで来日するようになり洋楽ブームが巻き起こった。

Linkin Park、Red Hot Chili Peppers、Green Dayに続き、ガールズロックとしてアヴリル・ラヴィーンが登場。日本でもSCANDALはじめとしたロック系のガールズバンドが流行り始めた。

 

 

2008年の主なニュース

リーマンショック発生、日本含む世界的な金融危機に

出典:Alyarudan, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが2008年9月15日に経営破綻。これを機に世界同時不況「リーマン・ショック」に発展した。

低所得者向けの住宅ローン(いわゆるサブプライム・ローン)を担保にした金融商品が焦げ付き。大手リーマン・ブラザーズが損失を拡大するなか、米中央銀行からの救済もなく破綻したことから金融不安が連鎖した。

アメリカの主要株価指標は翌年にかけて下落率50%超を記録。1929年に起きた世界恐慌以来となる歴史的な株価暴落になった。

日本にも余波。2008年10月28日には日経平均株価がバブル崩壊後で最安値となる6,994円まで下落。景気悪化から大手製造業の派遣社員が大量解雇される「派遣切り」が社会問題に。

アメリカ政府は景気対策として金融機関に公的資金を投入。一方で金融危機によって仕事を失った労働者への救済は乏しく、危機を招いてなお金融業界を重視するスタンスに批判があった。

2011年には市民運動「ウォール街を占拠せよ」が展開された。スローガンは”We are the 99%”。リーマンショック後のアメリカ政府の対応を批判したほか、リーマンショック後に拡大した格差社会の是正を訴えた。

 

中国が目覚ましく発展、五輪も初開催

出典:U.S. Army, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

100年単位で長い低迷期にあった中国だが、2000年代にかけて大きく発展。安価で豊富な労働力を武器に海外企業の下請けを担って「世界の工場」と呼ばれるまでに成長した。2007年には名目GDPで世界3位に浮上。2010年に日本を抜いて世界2位に躍り出た。

2008年には中国初開催となる北京オリンピックを開催。また、同年のリーマンショックでは中国政府が4兆元(当時のレートで約57兆円)の大型景気対策を打ち出し。いち早く国内景気を立て直したほか、諸外国との貿易拡大を通じて世界経済の立て直しにも寄与。リーマンショック以降の世界経済の舵取り役に躍り出た。

一方で政治体制は中国共産党による1党支配体制が続いており、経済的にも政治的にも、かつての米ソ対立に続く米中対立が語られる時代に突入した。

 

【戦後最悪】秋葉原通り魔事件で7人死亡・10人重軽傷

2000年代の再開発で盛り上がっていた秋葉原で起きた無差別殺傷事件。

加藤智大元死刑囚(2022年に死刑執行)がトラックで歩行者天国に突入。そのあと通行人をナイフで殺傷した。この事件で7人が死亡。10人が重軽傷。戦後日本で最悪の通り魔事件として記憶される。

加藤元死刑囚はインターネット掲示板に強く依存しており、その掲示板が荒らされたこと(※現在で言うネット炎上に近い状態)への報復として犯行予告を書き込んでいた。公判では「ネット掲示板への復讐」を犯行動機として主張していた。

同事件を機にインターネット上での犯行予告の取り締まりが強化。犯行の実行有無に関係なくネットの書き込みでも脅迫罪や威力業務妨害が適用されるように。

加藤元死刑囚は高校時代には青森県の進学校に通っており、北海道大学を志望するなど高い学力あった。一方で非正規の職を転々とし続けた背景に2000年代ならではの社会・経済事情を見いだす声もあった。

参考情報

 

【働き方】「名ばかり管理職」が社会問題に

出典:Achim Hepp, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

サービス残業ありきの日本の労働慣行が矢面に立たされた2008年。

日本マクドナルドの現役店長が未払い残業代を求めて本社を訴え。管理職のため残業代が支払われない職責にあったが、実際には人手不足から一般従業員と同等の業務を行っていた。

裁判の結果、店長側が勝訴。日本マクドナルドに対して約750万円の支払いを命じる判決が出た。「店長に実質的な経営権限はなく、”名ばかりの管理職”にすぎない」とする判決から「名ばかり管理職」が同年の新語・流行語大賞にも選出された。

2000年代のコストカット経営の中、残業代を支払わなくていい管理職もまた人件費削減のための抜け道となっていることが同裁判を通じて露呈。日本企業の労働慣行や労働環境の改善が求められるように。ただ、同裁判以降も日本の長時間労働やサービス残業の傾向は続いている。

 

2008年の人気曲|嵐『One Love』

ジャニーズ・グループにしては遅咲きだった「嵐」。

1999年にデビューするも後続グループの「NEWS」「KAT-TUN」「関ジャニ∞」「タッキー&翼」の人気に押されて地味な立ち位置にいた。

転機となったのが2005年。松本潤が出演したTBSドラマ『花より男子』が大流行。同作の主題歌だった嵐の楽曲『WISH』や劇場版の主題歌『One Love』が相次ぎヒット。グループが広く知られるように。

2009年にはNHK紅白歌合戦へのようやくの初出場を果たした。スキャンダルやメンバー脱退もなく2010年以降もながらく活動した。

 

 

2009年の主なニュース

民主党が政権交代

出典:Corpse Reviver, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

2009年夏の衆院選で与党が大敗。1993年以来に自民党が野党に転落した。

変わって政権与党の座に付いたのが「民主党」(当時)。元自民党議員の鳩山由紀夫氏、小沢一郎氏らを中心とした中道左派のポジションを取る政党だった。

「脱自民党政治」「政治主導」「コンクリートから人へ」など政治変革を打ち出し。鳩山政権の初期の支持率は各社70%前後と高い水準に。

ただ、政権交代から半年もすると勢い失速。公約違反が続いた。特に普天間基地の移設先をめぐる問題では「最低でも県外」を公約に掲げながら最終的に沖縄県内(辺野古)に決定した経緯ある。

公約違反について鳩山首相は「公約とは選挙のときの考え方」との認識を示して自己弁護。さらなるバッシングを受けた。

鳩山首相は1年足らずで退陣。民主党政権も3年余りで終了した(民主党政権の詳細は2010年代まとめに記載あり)。

参考情報

 

【米国】オバマ大統領が史上初の黒人大統領に

出典:adrigu, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

米国史上初の黒人大統領として注目を集めたバラク・オバマ氏。2009年〜2017年まで2期大統領を務めた。

「Change」をスローガンにリーマン・ショック後の景気不安の中で支持を獲得。

低所得者向けの医療保険制度改革法「オバマケア」を成立させたほか、2016年には米国の現職大統領として初めて広島を訪問するなどリベラル寄りの大統領として知られた。

一方で外交政策で失点。中東情勢で後手にまわり、シリア内戦の泥沼化、イスラム国(IS)の躍進を招いた。

また、シリア情勢の泥沼化から2013年には「アメリカは世界の警察ではない」と公に宣言。WW2後のアメリカの軍事政策を一転させた。従来よりも内向きな外交政策が結果としてトランプ大統領時代の自国ファースト主義の下地を作った側面も。

参考情報

 

ユニクロ(UNIQLO)ほかファスト・ファッションに市民権

(2005年ころのユニクロ店舗。旧ロゴ仕様)

出典:ja:User:Rocky, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

かつてはダサい服屋の象徴だった「ユニクロ」(UNIQLO)だが、2009年ごろからブランドイメージに変化。

リーマン・ショック後の景気の落ち込みの中で「安くて高品質」路線で躍進。機能性下着「ヒートテック」の流行を機に日本人のファッションを内側から侵食。2013年にはアパレル専門店として史上初の年間売り上げ1兆円を達成した。

2000年代に主流だったデパート・ファッションはユニクロにより駆逐された。ダサい服屋のイメージもほぼ払拭され、日本を代表するグローバル企業として名を連ねるまでに。

また、2008年にはスウェーデンのファスト・ファッション大手「H&M」が日本進出。銀座の一等地に店を構えてファスト・ファッションの安かろう悪かろうイメージの払拭に一役買った。

参考情報

  • ユニクロ|Amazon(ユニクロがグローバル企業になるまでのノンフィクション書籍)

 

「草食系男子」が概念化される

2010年前後に急速に普及したトレンド・キーワード「草食系男子」。

恋愛にガツガツしない、スイーツ好き、ヘアワックスで髪を整える、出世欲が低いといった従来世代の男性より貧弱で女々しい男子像を指すもの。

言葉が広まった2000年代後半は従来世代と価値観が異なる”ゆとり世代”が20歳前後に差し掛かった時期。ジャニーズ・アイドルやビジュアル系バンドなど女々しいとされた男性芸能人が流行した時代背景と重なって「草食系男子」のイメージが増幅。よくある”昨今の若者論”として賛否を集めた。

とはいえ、2010年代にはK-POPアイドルの流行により男性向けの美容・化粧品市場が拡大したり、ジェンダー平等世論の中でマチズモ文化(男性らしさの誇示)に否定的な意見が出てきたり、かつて草食系男子とされた言動のカジュアル化が進んだ。

 

2009年の人気曲|AKB48『言い訳Maybe』

2005年に秋葉原で結成したアイドル・グループ「AKB48」。

当時まだテレビが主流だった時代に、テレビに頼らずに劇場公演を通じてファンダム拡大。「会いに行けるアイドル」として知られた。握手券や人気投票権を同封したCD販売方法だったり、ライブ収入&グッズ販売を通じた収益構造だったり、2010年以降のアイドル・ビジネスのフォーマットを作ったと言っても過言ではない。

現在でも使われる「推し」なる概念を普及させた功績も。グループの中で推してるメンバーを「推しメン」と呼んでいた。もともとオタク用語だったが、AKBブームを機に一般用語になった。

2009年に発表した『言い訳Maybe』はAKBが社会現象になる1歩手前くらいの楽曲。AKBの代名詞たる「アイドルっぽい制服の衣装」のテンプレとして定着。歴代のAKB衣装を手掛けた茅野しのぶ氏の代表作としても知られる。

 

 

2010年〜のニュースを見る

関連記事 2010年代の空気感がわかる!2010年〜2019年の主要ニュースをダイジェスト ニュースデータベースは「昨日のニュースを […] 2020.01.11 関連記事 2020年代の空気感がわかる!2020年〜現在までの主要ニュースをダイジェスト ニュースデータベースは「昨日のニュースを […] 2026.08.16
記事のURLとタイトルをコピーする